東京都 柴又 <柴又帝釈天>


寅さんで有名な
柴又の帝釈天を訪れてみました。



 帝釈天へ向かう参道。
曇り空の天気ながら多くの人でにぎわっています。
奥に見えるのが帝釈天 二天門


二天門の正面、屋根を見上げたところ。
 ウィキペディアによると、
明治29年(1896年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す。柱上の貫などには浮き彫りの装飾彫刻を施す。
とあります。


こちらが、二天門入口上部。
柱上の貫廻り。
あらゆるところに彫刻が施されています。


中に入って左手の手水舎。
神社の物とはまったく異なった形式です。


境内正面に位置する帝釈堂。
その正面側の拝殿の奥にある内殿の彫刻。
内殿の外壁全面に彫刻が施されています。
拝観は有料、外人さんもたくさん来ていました。


 2
三車火宅の図の一部


 3
慈雨等潤の図の一部


 4
法師修行の図の一部


8
病即消滅の図の一部


壁上部の組み物。
獅子と龍の彫刻になっています。


こちらは、土台コーナー部の組み物。
大きな龍の彫刻です。


こちらも別なコーナー部。
龍の彫刻は、かなりの数がありますが、
すべて違うデザインになっているようです。


力貫の端部を保護する飾り金物。
銅製でしょうか。


回廊を回った奥にある庭園。

参道の街並に期待して来てみたのですが、
彫刻の美しさとその量に驚かされるばかり。
もっとよく調べててから来るべきだったと反省しています。
また、彫刻の写真を撮りに来たいものです。

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東京都 柴又 <柴又帝釈天(帝釈堂の彫刻)>


寅さんで有名な柴又の帝釈天を訪れました。
今までその存在も知らなかった彫刻の美しさに魅了されました。

正式名称は、
経栄山 題経寺
(きょうえいざん だいきょうじ)
二天門を入った境内正面に位置するのが帝釈堂。手前の拝殿と奥の内殿から成る。
彫刻ギャラリー
 帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である。 これは、法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年) にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。 この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には、花鳥および亀を浮き彫りで表す。 これらの彫刻を保護するため、内殿は建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」と称して一般 公開している。
(「彫刻ギャラリー」と大客殿、庭園の見学は有料)。 
<以上、ウィキペディア より>


以下が、10面の彫刻です。

1
塔供養の図
今、日月燈明佛の眉間から光が放たれると、東方一萬八千の佛国土が照らし出されます。
それらの佛国土では、さかんに塔供養が行われているのが見えます。
このような光景が見られることは、「法華経」の演説される前ぶれです。


2
三車火宅の図
三車とは、羊・鹿・牛がひく三種の車のことで、火宅とは燃える家のことです。
わらわれ凡夫は、火宅の中で遊びたわれる子供と同じで何のおそれも感じません。
父親は、子供たちを救出するために三つの車を用意したのです。


3
慈雨等潤の図
佛の慈悲深い教えは、あまねく地上を潤す慈雨と同じです。
今、雷神と風神が現われて、雨をふらし、大地には、緑があふれ、
さまざまな花々が咲きほこります。
天人たちも地上の楽園に舞いおりて来ました。
  

4
法師修行の図
インドでは、法師たちは森の中や洞窟の中で独り静かに修行をしています。
しかし、虎や狼の危険があり、心淋しく、修行はきびしいものです。
その修行者を励ますために、佛が立ち現われたり、
象に乗った普賢ぼさつが姿を現すのです。
  

5
多宝塔出現の図
「法華経」を信仰するところでは、多宝塔(多宝如来の塔)が、
地面から涌き出してきて人々の信仰をほめたたえます。
人々は歓喜にふるえ、一心にその塔を礼拝します。
人々の顔には、法悦のほほえみが浮かんでいます。


6
千載給仕の図
阿私仙(アシセン)という仙人が、「法華経」という尊い教えを持っていました。
この仙人について私は千年の間、給仕のまことを捧げ、水を、汲み、
薪を拾い、果の実を採り、ある時には仙人の腰掛になりました。
法華経を知りたいための修行でした。
  

7
龍女成佛の図
「法華経」では、女性が成佛できることを説示します。
今、龍王の娘で、八才になる智慧にすぐれ弁舌さわやかなこの娘は、
多くの教えを理解し、不動の境地に達しました。
波の上にあって龍女が宝珠を佛に捧げています。
  

8
病即消滅の図
「法華経」は、全世界の人びとの病の良薬です。
もしある人が病にかかり、この「法華経」を聞く幸運に恵まれたら、
たちどころに病はなおり、不老不死の境地を得ることができるのです。
 

9
常不軽菩薩受難の図
法華経功徳の図

常不軽ぼさつは、「常に人を軽べつしない」という修行をしていましたが、
却って迫害を受けました。又「法華経」は、寒さに火を得たように、
子のところに母親が来たように、渡りに舟を得たように、
闇に灯りを得たように救いの道を示すのです。
  

10
法師守護の図
「法華経」を
受持(ジュジ)・読(ドク)・誦(ジュ)・解説(ゲセツ)・書写(ショシャ)
することを、法師の五種の修行と言います。
まず経をたもつことを誓い、読み、あるいは誦して、解き明かし、
経文を書き写して法華経をひろめます。
修行する法師を 天人も阿修羅も協力して守護するのです。 


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東京都 佃島(その3) <佃天台地蔵尊>

8/12に佃島を訪れた際、
小さな住宅街の中で、大きな樹木が
天に向かって大きく繁っているのが眼に飛び込んできました。
密集した住宅群の中心に公園でもあるのかと
入り口を探していると,


「佃天台地蔵尊」と書かれた狭い路地があり、
中程に何やら明かりが点いています。


この左側が佃天台地蔵尊の入口。


中を覗くと、太い樹の幹が!
この大木は銀杏だそうで、
TVでも紹介されることのある場所とのこと。

キーワードとしては、
「天 台」:天台宗からみ?
「地蔵尊」:子どもの守り神
なのですが、内容が難しくうまく紹介できません。
 詳しくは、以下のリンクをご参照ください。
中央区観光協会特派員ブログ 1
中央区観光協会特派員ブログ 2

この佃天台子育地蔵尊は、頑是ない子供衆の様々なことを、御守護下さる本願がおありになりますと同時に長壽延命・家内安全・諸願成就の地蔵尊といわれていることから古くから佃島の人々はもちろんのこと多くの人々に信仰され今日に至っているとのこと。
東京都中央区の歴史 より


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東京都 神田(その3) <ミルクホール>

8/12 神田の蕎麦や「神田 まつや」に行く途中、
「松本家住宅」と共に偶然に見つけた建物です。


昭和のにおいをぷんぷんさせたミルクホール。
ショーケースには冷やし中華しかありませんでしたが?
のれんの一番右端に「ラーメン」とありますね。

外壁は、銅板葺き。
江戸東京たてもの園に、似た造りの建物がありました。


固定資産税の高い神田に木造の2F建ての建物を存続させることは、
経済的にも大変なことと思われます。

この建物の並び、1ブロック先の角に「松本家住宅」があります。

江戸東京たてもの園の <E10 丸二商店(荒物屋)>


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東京都 神田(その2) <松本家住宅>

8/12 神田の蕎麦や「神田 まつや」に行く途中、
偶然に見つけた建物です。


JR神田駅から北へ、淡路町方面への通りに突然現れた重厚な木造住宅です。
写真ではうまく伝えられていないのですが、堂々とした建物です。
調べてみると「国指定 登録有形文化財」の『松本家住宅』とのこと。

旧神田青果市場の一角に、昭和6年(1931)に建てられた震災復興町家。木造三階建、切妻造、平入、瓦葺、建築面積137平方メート ル。正面は、出桁造の構えをとり、北妻面は窓の少ない防火に配慮した造りである。東京の下町における震災復興期の和風町家として貴重である。
とありました。 (千代田区のHPより)



呼び樋の飾り物が現代では見ることのできない手の込んだ造りです。
こういう飾り物を造れる板金職人さんも、もういないのかもしれません。

住宅メーカーに住宅を建てさせ、
安物の仕上げに傷がついていないかを血眼になって探し出す現在、
こういう仕事を依頼する施主は存在し得ないですね。


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東京都 神田 <神田 まつや>

8/12に佃島を訪れてから神田の噂の蕎麦屋さんへ
噂の蕎麦を食べに行ってみました。



東京都 歴史的建造物の指定を受けている
「神田 まつや」
高いビルの間にこつ然と木造の建物が建っており、
遠目にもその存在がすぐにわかりました。


13:30過ぎでこの行列。
一般の人にも有名な店なんですね。
店内もすごい混雑ぶりで、
残念ながらゆっくりと蕎麦の味を楽しむ雰囲気ではありません。
建物の造りは、佃島の天安とそっくり、平入りの2F建て。
出桁造り(だしげたづくり) でしょうか。

江戸東京たてもの園の出桁造り


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東京都 佃島(その2)

8/12に訪れた佃島。
天安の1本南側の通りにある建物です。



東京都中央区佃1丁目、
この建物も出桁造り(だしげたづくり)でしょうか。
 天安よりも建物全体の保存状態が良い状態です。
Google mapの情報によると
「正政商事(有)」とあり、個人住宅ではないようです。
改めて写真を見ると、保存状態が良すぎるように感じます。
改修をしたのでしょうか。 

江戸東京たてもの園の出桁造り


この写真の左手の建物は個人住宅のようです。
天安・正政商事と同様に平入りの建物ですが、
軒が浅く2つの建物とは違った造りです。
江戸東京たてもの園の<E3 鍵屋(かぎや)>が似ています。

 
佃島の界隈に残っている昔ながらの木造建築物は、
最初の天安とこの2軒、それともう1軒の4軒程度。
その他の建物は、古い木造住宅でもモルタル塗りの戦後の建物が目立ちます。

古い木造建築物の保存を考えると、
関東大震災時の建物はどの程度が残ったのか、
改めてその難しさを考えさせられます。
モルタル塗りの建物もその時代の選択なんですよね。


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